大罪でもある『嫉妬』

美しさに武器は必要?

薔薇には棘がある、この言葉を始めて聞いたときどんな印象を持っただろうか。筆者として初めて聞いたときあまり深く感じることは無かったが、とあるアニメ映画で似たような言葉を聞いたことで、この言葉が実はとても深い意味を持っているのかと、改めて考えさせられた瞬間があった。その作品では、主人公の少女に思いを寄せる少年がとある日に買ってきた商品、イチゴ味のアイスを買ってきたという場面での話だ。少女は少女らしからぬ雰囲気を纏った、勇ましさを兼ね備えていたことも有り、少年は彼女のことを考えてイチゴ味を選択したという。イチゴが彼女のイメージとしてぴったりだったというが、そのイチゴが花としてカテゴライズした場合、『バラ科の一種』となっている事でピンと来たとのこと。美しいものには棘がある、刺々しいという意味ではなく不用意に触れると怪我をするということを暗に示していると考えたとき、考えさせられた。

薔薇の美しさは周知の事実。見ているだけでその鮮やかさに見とれる人も少なくないだろう、日本にも薔薇園なる場所を構えている植物園もあるほど、人気の高い植物だ。しかし薔薇は管理を誤ればその手が備わっている植物によって傷を負わされることになるが、筆者はそうした性質を鑑みると攻撃性を持っているのは当然として、薔薇という植物が持っている美しさは外に対して放たれるために備えているのかもしれないと、そんな風に感じることもある。

この世界には薔薇よりも美しいものがあるといえるものが存在している、それは薔薇にとってみれば自身よりも美しいものなど認めないと思うかもしれない。もしも意思があればそんな愛憎めいた感情を抱くかもしれない、だが対抗するためには素手で挑むのは無謀にも程がある。そんな時に役立つのが身に備えた棘だ。薔薇にある棘は自身の美しさを守るために装備したもの、いわば自己防衛手段でも有り、また外界に対しての警告と攻撃をするという性質も持っていると仮定することは出来る。

美しさを持っている物には武器がある、ただ出来るならその武器を使わないことに越したことはないだろう。だが美しさと武器は切り離せないかもしれない、それは美しさを追い求める上でどうしても抱かざるを得ない感情を持つことがあるからだ。人間だろうと動物だろうと、植物だろうと、何より他人と自分をどうしても比べがちだ。特に美しさという定義に当てはめたものなら、骨肉ともいうべき愛憎劇が繰り広げられるような一幕が上がってしまう展開もありえるほどだ。こうした状況で美を追い求める人々がどうして抱くことになる感情、それは聖書にも記載されているような罪として描かれる『嫉妬』、何かを追い求めるなら何かを憎まなければならないというのだから、人間というのは欲望めいた存在だと感傷めいてしまう。

美とは力。そして笑顔は美の剣です。

七つの大罪、その一角を担う

嫉妬は人間誰しも抱いたがある感情だ、自分よりも上の人間に対しては自分の方が優れていると思い込み、自分よりも下のものに対しては自分の方が優れていると悦に浸る、これが一般的に嫉妬という感情に駆られている人の基本状態、と考えていいだろう。別にこうした思いを持つ事が間違いだという気もない、むしろとても自然なことだ。ただこうした感情を持つ事はキリスト教において人を死に追いやる罪であると考えられている、聞いた事がある人も多いだろう。

そうした罪の事を『七つの大罪』と呼ばれており、嫉妬はその内の一角に該当すると言われている。ただ最近日本のカトリック教会では、罪そのものというより、人間を罪へと誘うものとして扱われると考えられており、七つの大罪というより『七つの罪源』と表現しているそうだ。どちらがこの際正しいか否かは問題として扱わないとして、嫉妬という言葉を考えたときにはまずは大罪について簡単な知識を改めて理解しておく必要がある。ではまずは七つの大罪について簡単にまとめてみよう。

大罪 英語表記 対応悪魔
傲慢 pride ルシファー
強欲 avaraice マモン
嫉妬 envy レヴィアタン
憤怒 wrath サタン
貪欲 gluttony ベルゼブブ
色欲 lust アスモデウス
怠情 sloth ベルフェゴール

上記の表では嫉妬はもちろんだが、聖書においてこれらの感情は対応する悪魔も存在すると考えられている。一重に、大罪といわれるだけに感情に比例して呼び起こされる悪魔はどれも、その筋の世界では超一級格と称される悪魔ばかりが名を連ねている。それだけキリスト教においてこのような感情を持つことは禁忌とされ、そして異常と見られている。持つなといわれても、恐らく抱かずにはいられないだろう。こうした感情に苛まれた人が本当にいるのであれば、それこそ真の意味で神の子としての資格を有していると考えられる。聖人として語り継がれることになるわけだが、そんな大層な人間はこのように存在しないだろう。

女神についてもっとくわしく

嫉妬という感情を持つことの意味

嫉妬は誰しも抱いた事がある感情だ、それは間違いではないとても正常な感情だと分析してもいいのではないかと、個人的に見ている。人によってはそんな思いを抱いたことはないという人もいるかもしれないが、これはあくまで個人的主観に基づく意見であるということを前提に述べておこう。この感情を持ち始めるのは、おおよそ思春期からと考えられている。この頃はそれまで考えたことがない、『周りから愛されたい』という思いが大きくなっていくものだが、自分よりも他の人が他人からちやほやされている様子に対して自分の方が勝っていると、そんな状況に苛まれる際に嫉妬は発生する。この状況はペットにも当てはまり、複数のペットを飼っている場合において特定の個体に対して愛情を捧げていると、その個体に対して他のペット達が独占している愛情に妬みを覚えて、愛情を受けている個体に対して嫌がらせをしてしまい、構ってもらいたいがゆえに部屋を散らかすなどの行動を起こしてしまうなどの行動で自身の訴えを飼い主に伝えようとする。その姿がまた愛らしいと取る人もいるだろうが、あまり楽しむモノではなくペットには平等に愛情を注ぐべきだ。

話が脱線したので戻すと、人間だけでなく動物達も同様に嫉妬という振る舞いを行動で見せるときがある。そう考えれば人間誰しも意識せずに嫉妬という感情を持つ事は当然ある。自分の事を見て欲しい、誰よりも自分だけを見て欲しいと感じるとき、人はどうするだろうか。そういう時に用いるものとして『美』というものに繋がるといえるだろう。美しければ美しいほど、人を惹きつけて誰からも愛されるようになる、そうなるために男性でも、女性でも、美しくあろうと切磋琢磨すると考えられる。美しさと嫉妬、この二つは切っても切り離す事の出来ない関係性を持っており、そしてこの話から派生して行くと愛を求めて彷徨う話を思い出すことが出来る。気高き美しさを持っている女性たちが数多く登場する、世界各地にその美を轟かせている女性達は人間ではなく、女神と呼称される。

女神というと嫉妬とは無縁の存在であると思うが、世界各地に残された神話において美しさを追い求めている女神達は、それこそ血みどろに満ちた妬みの嵐を巻き起こしている。時に傷つけ、時に争い、と気に謀殺するといった行動を起こしたりと、それはもう自分よりも美しいという女性たちに対しての復讐激はある意味壮観だ。誰からも愛されたいから美しくなる、美しくなっても思い人が振り向いてくれないと、他の女神に浮気をしているとどこかに出てきそうなドラマの脚本のようにも聞こえるが、実際に神話上でそのように表現されている。愛憎めいた女神達の争い、究極とも言える美しさを兼ね備えている女神たちが抱く嫉妬渦巻く劇を少し見てみよう。そこから見る、美しさとは何かを考えてみたいと思う。

目指すは美魔女